「直虎」「直政」「直弼」歴女も萌える古刹「龍潭寺」で井伊家の歴史と息づかいに触れる
直弼も愛でた龍潭寺庭園には春はサツキ、秋はドウダンツツジが彩る
大河ドラマ「おんな城主 直虎」で注目を集めた静岡県浜松市の井伊谷(いいのや)地区。
井伊直弼の名しか知らなかった女性も、井伊直虎公の勇ましくも健気な生き様に惚れ、にわかに歴女になった人も多いのでは。
今回は、そんな直虎公、戦国時代、徳川四天王の筆頭として活躍した直政公と縁の深い「龍潭寺」で井伊家にまつわるお話をうかがいました。
住職の武藤宗甫さん
■“井の国”発祥。千年続く井伊家の歴史
井伊谷の『井』とは、井戸などの水資源が豊富なことを意味しているそう。
その井伊谷に平安時代から続く豪族として井伊家は栄えてきました。初代は西暦1010年に龍潭寺門前の井戸から誕生したと言われる共保(ともやす)公。そこから歴史が始まり、鎌倉時代には源頼朝に仕え勢力を拡大。南北朝時代には後醍醐天皇の皇子・宗良(むねなが)親王を井伊谷に迎え、北朝軍と激しく戦っていたそうです。
井伊家初代誕生から歴史を共にする龍潭寺は、奈良時代天平5(733)年に開創した由緒ある臨済宗妙心寺派のお寺。歴代の井伊家当主をお祀りしています。
■井伊直弼公が眺めた景色を今に愛でる
龍潭寺と言えば、江戸時代に小堀遠州が造ったと言われている日本庭園も有名です。静岡県内には4つの国指定の寺社の名勝があり、県中部地域に3つ、残る1つがここ「龍潭寺」です。
国指定の名勝地ということもあり、本堂の縁側から眺める日本庭園は、まさに京都の庭園を眺めているかのよう。
住職の解説を伺いながら本堂や寺内の建物を案内いただき、織田信長公から拝領した茶器、井伊の赤備えで有名な赤の甲冑など、貴重な展示品を見せていただきました。
『貴重な古文書など2000通余り残っているんですよ』と住職。
鎌倉時代や井伊家累代の古文書など、歴史的価値の高い資料が数多く保存されています。
本堂横にある書院は、歴代の当主が先祖のお墓参り時に滞在した部屋。
『ここから日本庭園越しに井伊家累代の当主のお墓を臨めるんですよ。井伊直弼公も滞在してこの景色を眺めたそうです。』
大老となる直弼公はここで日本の将来をどのように考えていたのでしょうか。
時を超えて直弼公が見た景色や、当時の時代背景に思いを馳せます。
■石が表現する禅寺の庭。浜松で京を感じる
井伊家は彦根に移ってしまいましたが、江戸時代になっても龍潭寺は井伊家の菩提寺として大切にされてきました。
住職の後ろに見える「御霊屋」には井伊家累代当主のお位牌が祀られ、その奥には井伊家の墓所があります。
戦国時代織田家、今川家、武田家、松平家など強豪が割拠する中で活躍した直虎公。
直虎公に育てられ、徳川家の四天王の筆頭として活躍した直政公。
父直政公と共に徳川家に奉公しながら、小堀遠州に日本庭園を造らせ、現在の龍潭寺を作り上げた直孝公。
そして江戸時代末期、日本の命運を握っていた直弼公。
日本史上で著名な人物を輩出してきた井伊家。井伊家と深いつながりを持つ龍潭寺。
『今でも、浜松の人は井伊家を誇りに思い、好きな人達がたくさんいるんですよ。』
誇らしげに語る住職からも井伊家への親愛を感じました。
小堀遠州が造った日本庭園は、その美しさから国の名勝に指定され、国内に限らず、海外の人にも注目されています。その他にも禅寺として座禅や写経会も実施。忙しい日々の喧噪を忘れ、静謐な時を過ごすことができる地域の大切な資産になっています。
秋には夜間特別公開もあり、昼間の景色と異なる幽玄の世界に
最後に、歴史ファンも、にわか歴女にもおすすめしたいのが浜松歴女探検隊が作成した『井伊直虎物語』。直虎公の波乱万丈の人生がわかりやすく描かれ、大人も子どもも楽しめます。
龍潭寺
静岡県浜松市北区引佐町井伊谷1989
TEL:053-542-0480
FAX:053-542-0901
拝観時間9:00~16:30(17:00 閉門)